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宮崎神宮献詠短歌会


宮崎神宮の献詠が最初に募集されたのは昭和16年3月からです。

この年、日本は米英両国に対して宣戦布告し、海軍はハワイ真珠湾のアメリカ太平洋艦隊に壊滅的

打撃を与え、陸軍はマレー半島に上陸赫々たる戦果を挙げつつあった頃であります。初戦に勝って

大いに戦意昂揚していた時代でした。

それだけに献詠の応募者は、遠く朝鮮、満州等に及び、近くは福岡、熊本等に及んだのでありました。

選者も当初は、國學院大學教授武田祐吉博士であり、その後は更に武島羽衣、木俣修、岡野弘彦氏等々、

の指導を受けたのでありました。特に木俣修氏は北原白秋の門下生で、宮柊二と共に双璧と称せられる

歌人でした。

戦後の何年間かは、短歌献詠の事が行われてなかったのではないかと考えられます。それを片岡常男

宮司の時に復活され、現在に至ります。

定められた兼題に毎月応募いただき、選者がその選にあたります。

尚、現在の選者は堀家博子氏で、会員は約60名おり入選された方の作品は社報「養正」に掲載します。

 

入会希望、興味のある方は、ご連絡下さい。

 

問合先 宮崎神宮社務所 担当 須田 (0985)27-4004

 

※平成28年兼題

 1月 川  

 2月 畑  

 3月 菜  

 4月 道 

 5月 竹 

 6月 茶

 7月 船・舟 

 8月 海 

 9月 実 

10月 霧  

11月 魚  

12月 鈴

 

※平成27年優秀作品(「天」のみ)

1月 「空」  宮崎市 黒木和貴子
小戸之橋渡り納めの風船は高くたゆたひ空を彩る

(評)原作は「小戸之橋渡り納めに放ちたる風船たゆたひ空を彩る」である。「空」の題詠の歌材として情景が見えて、作者の感動が伝わり、読者にもそのカラフルな風船のたゆたう空が鮮明に見えてくる作品。しかし読み返すと主役の風船を三句に据えたい思い思いに駆られた。「放ちたる」まで言わないで下の句を伸びやかにしたい。原作のままでも充分だけど、風船のたゆたう情が更に表現できる。

2月 「寒」  宮崎市 猪俣 文恵
朝より時雨の寒く降りつづき裸木のダチュラに新芽きざしぬ
     
(評)「あしたより・・・」と声に出して読むと、調べがよく写生が効いた作品だと思う。寒い時雨の降る庭のダチュラに芽吹きを見つけた作者、「裸木のダチュラ」が効いていて、別名トランペトエンジェルという下向きの白い花にまでが想像が及ぶ。寒さも暫くの辛抱と春を待つ思いがよく表現出来ている。

3月 「草」  宮崎市 和田 洋子
畑の草肥料になると埋め込みてじゃが芋植える等間隔に

(評)ジャガイモを植えるまでの作業が丁寧にそのままを素直に詠みこんでいるが、厭味なく伝わるし、一首からは畑仕事に一生懸命な様子や作者の考えが窺える作品。声に出して読んでもリズムが整っているし、「じゃが芋植える等間隔に」の倒置法的な下の句も成功している。「じゃが芋を植う等間隔に」としたいとも思ったが。

4月 「光」  宮崎市 小池 洋子
窓よりの光がまぶしと背に受けて老いたる母は聖書読みゐき

(評)「そこはお母さんの定位置ですね」「外の光が眩しいのよ」と言う二人が見えるような場面で、窓を背にしてよく聖書を読んでおられた母上が彷彿とする一首である。「光」という兼題にふと在りし日の母の姿を生き方を思い出して生まれた作品だと思う。「老いたる母は聖書読みにき」と簡潔に詠んだのは手柄だと思う。

5月 「園」  宮崎市 黒木和貴子
花飾る御堂に園児駆け寄りて背伸びしながら甘茶を注ぐ

(評)四月八日、お釈迦さまの生誕を祝う花祭りの行事。お寺の前にしつらえた花を飾る御堂に釈尊像を安置、頭上に甘茶を注いでいただくが、園児たちがその作法で手を合わせる景を上手く纏めている。小学生の頃、祖母に連れられ訳も解らぬまま拝んだ日思い出した。「駆け寄りて背伸びしながら」に可愛らしさが見えるようだ。

6月 「滴」  宮崎市 和田 洋子
畑に採る重きキャベツのみづみづし夕べの雨の滴含みて

(評)一首音読してみるとリズムよく、美味しい春キャベツの収穫の喜びが伝わってくる。キャベツは青虫がついて素人にはなかなか難しいが、菜園に励む作者だろう。重たく結球したキャベツを畑に切り取ったとき雨滴がこぼれた場面を想像した。

7月 「雲」  熊本市 松山 浩一
阿蘇谷も梅雨明け近し代掻(しろか)きを終えし田の面を雲の峰行く
                                                 
(評)簡潔にいさぎよく詠んだ上の句に田植えの準備が整った田んぼの風景が見えるようで、言葉のつなぎ方、並べ方など表現がうまい。水面には入道雲が映っていて梅雨明けも近いという作者の心情も爽やかで詩情豊かに田園風景を詠んでいる。
結句の「雲の峰行く」はみごとな写実表現で一首を支えた。

8月 「椰子」  宮崎市 福﨑 公子
「椰子繁る島へ」と言ひて乗船の暁部隊の兵見送りき

(評)暁部隊は船舶隊で物資や兵器の輸送、工務など多くの任務に当たったという。戦後七十年にあたり、戦争への記憶が甦る八月である。この歌は任務に出航する兵を見送った日の記憶であり、初句「椰繁る島へ」が南方への覚悟を思わせて当時が偲ばれる。見送った場面はそれが恋人であろうと、仕事的であろうと忘れ得ぬ記憶である。二句「言ひつつ」は「言ひて」とした。「つつ」では緊迫感が失われると思う。

9月 「本」  宮崎市 黒木和貴子
満州の地図載る本に目を凝らしかつて住みたる北安捜す

(評)終戦まで両親が満州に暮らしたのだろう。戦後七十年という今、満州の北安を地図に探すという。敗戦に多大な苦労を強いられて引揚船に乗り、故国へ帰ったであろう遠きルーツに両親を憶う作者と思う。私もこの歌から、インターネットで検索して当時日本人の多くが暮らした北安省を辿って当時に思いを馳せた。

10月 「父・母」  宮崎市 黒岩 昭彦
染みついた父の装束身に着けて神嘗祭の祓詞を読む

(評)神事を勤める装束には地位の違いがあると思うが、自分の齢の頃身に着けたであろう父の装束を纏い神嘗祭の神事を努められたと言う。大切に畳まれていた装束に袖を通しながらの思いは如何許りだったかと・・また無事に祓詞を読み終えた感慨も思われる一首。「染みついた」に年月を経た実感と、父を肌で感じた思いと併せて解釈した。「染みつきし」でないのが生きた。「我」は不要・「れ」は送らない。

11月 「森」  宮崎市 鐘ヶ江和貴
出口さへ見えざる深き楡の森高き木末に空小さく見ゆ

(評)園などで見ることはあるが、上の句からこれは北国の森かと思う。「出口さえ見えざる深き楡の森」が幹がすくっと立ち落葉が始まらない季節の森かと想像した。更に落葉した季節までもイメージしたくなる一首。結句は「空小さく」より「小さき空」としたい。前者は説明的になるが後者は発見の感動になるから・・・・

12月 「子」  宮崎市 徳永さち子
家業継ぎ仕事を語るは少なき子業界新聞をわが食卓におく

(評)「男の子は話してくれない」世間によく聞くことですが、その寂しさのような心情を上手く表現している。そんな言葉少ない息子さんが「心配だったら読んでくれ!」・・と食卓に置いてくれたと言うのです。きっと前向きに仕事に邁進されている息子さんかと・・親の気持ちがよく伝わる一首です。

 

※平成26年優秀作品(「天」のみ)

1月 「朝」  倉敷市 萩原 紫文
早春の朝を焚き火に手をかざし受験会場に吾子は出で立つ
 

(評) 大学共通一次も今は大学入試センター試験と呼ばれることを知った。寒い時に今年も始まったようだ。わが子が厳しい受験の洗礼を受けにいでたつ朝を緊張感をもって詠んでいて整ったリズムの中に、作者の祈りがこめられている。街場では焚き火禁止の今の社会であるが、「焚き火に手をかざし」が生きている。

2月 「菫」「すみれ」  熊本市 松山 浩一
蒔きおきし菫の育ち遅ければ苗一ケース妻は買ひたり
 

(評)秋に種を蒔いたパンジーの成長を待つのに、お店には色とりどりの苗が売られて、よその花壇には咲きそろっている。妻は待ちきれないという思いに苗の一ケースを買ってしまった。という園芸好きなご夫婦で、二人の気持ちや行動までが察せられる。「遅ければ」は「待ちきれず」としたい。出来たら妻を前に持ってきて「蒔きおきし菫の育ち待ちきれず妻は苗の一ケースを買ふ」

3月 「父」 「母」  宮崎市 藤田 勢子
赴任するわれを送りてくれし父大家さんへの鯛ぶら下げて
 

(評) 社会人として赴任した日のことを確かな記憶をたどりつつ簡潔にうまく纏めている。鯛をぶら下げた父の感謝と喜びが見えるようです。何十年も経った今でも鮮やかな記憶であり、懐かしさと父への追慕の心情が表現できたと思う。

4月 「橋」  熊本市 松山 浩一
今日もまたあの橋までと妻ともに歩数計見つつ歩み確かむ
 

(評)健康維持に、またリハビリに「歩くのが一番よろしい」と知りながらも、日々続けることは簡単ではありません。上の句にさりげなく作者の意思が感じられます。結句の「確かむ」は細かすぎるので省きたい。「歩みゆきたり」と単純化しましょう。                      
 

5月 「茶」  宮崎市 黒木和貴子
遠く住む子らに届くる荷の中に摘みしばかりの宮崎茶添ふ
 

(評)宮崎のお茶を遠く住む子に送る親心を率直にリズムにのせて詠んでいる。作者にはこの季節の、ふるさと愛を繋ぐ年中行事でもあるのだろう。「摘みしばかりの宮崎茶添ふ」からお茶を生産している作者だろうと思った。

6月 「雨」  倉敷市 萩原 節子
雨に濡れ吾の帰りを待つやうに宛名がにじむ恩師の手紙
 

(評)雨の日ながら、予定の事柄を済ませて疲れを感じながら帰宅した郵便受けには、恩師からの便りが届いていた。宛名の文字は雨しずくに濡れているが、作者の感激は何時にない喜びであったのだろう。「宛名がにじむ」が効いているが、「宛名にじめり師よりの手紙」として「恩」までは言わない方がいいと思うが・・いかが

7月 「声」  倉敷市 萩原 節子
父親の胸に抱かるるみどりごは言葉にならぬ声を出し笑む
 

(評)みどりごを抱く父親は娘婿だろうと思いました。お孫さんを迎えての幸せなひと時の雰囲気が読者にも見えるような一首です。下の句の「言葉にならぬ声」という表現により、みどりごに寄せる家族の愛情が笑顔が伝わります。最近はみどりごに会う機会もなく過ぎる私、それだけにみどりごの声に想像がふくらみました。

8月 「古里 故里」  宮崎市 黒木和貴子
紙(し)垂(で)揺るるふるさとの道急ぎ来て子の担ぎくる神輿を待てり
 

(評)ふるさとの祭りを予想させる上の句は簡潔にして不足がない表現で、作者の心情と期待とが入れ交じって読み取れる。ましてや、息子さんが御みこしを担ぐという今年のふるさとの祭りである。素直にたくましく成長したわが子を見守る作者の喜びが余すなく伝わってくる。

9月 「夕焼け」  宮崎市 友枝 清子
黙々と駆けゆく堤防の空遠く霧島の見ゆ夕焼の中に
 

(評)一首読み下して無理無駄がなく、内容もそのバックグランドも鮮明に読みとれる作品です。堤防の上を黙々とジョギングしているのだろう。下の句に夕焼けの情景が自然に格調たかく詠みこまれている。焦点を絞ったリズム感が成功している。

10月 「旅」  宮崎市 梅崎まゆみ
秋日和嫁ぐ日前の親子旅日田の町並み話のはずむ
 

(評)「嫁ぐ日前の親子旅」というフレーズがうまく納まってそれを決めた時の、また旅先での家族それぞれの情感がうまく表現できたと思う。旅先もむしろ地味で鄙びた歴史の古い通り、のどかな温泉郷だったのだろう。親子の喜びの歌である。

11月 「柿」  宮崎市 友枝 清子
柿もぎてくれし従兄弟も既に亡く寂しく偲ぶ古里の秋を
 

(評)兼題「柿」に心を馳せたのは懐かしい古里の庭の柿の実る庭。作者が十代の頃従兄弟が来ては、捥いでくれた柿。その従兄弟たちも「もう亡くなってしまった」という寂しさがしみじみと伝わってくる、そして古里への郷愁も・・・

12月 「便り」  宮崎市 小池 洋子
奔放なる児童に我は耐へかねて辞職を考へ便りせしことも
 

(評)教師だった作者の回想詠であり、若い日に、教師として悩み、忘れられない一時期のことが甦り、作品になった。下の句の「辞職したいと」が散文的なので少し直した。やんちゃな子も今では個性的に立派になっているのだと思うが、手こずる生徒に苦悩する若い教師が、思われる。結句「便りしたりき」とはっきり詠んでもいいか?

 

※平成25年優秀作品(「天」のみ)

1月 「松」
おみやげと曾孫のくれし松ぼっくり我が掌(て)に浜の匂ひこぼるる  宮崎市 榊田キミヱ
 

(評)「これ・・おみやげ」と曾孫が差し出した松毬に目を細めている祖父か祖母の作者は孫の優しい心に幸せを感じている一齣。思いがけない出来事の瞬時を素直に捉えて自分の心情をこめた作品になった。下の句の表現が生きている

2月 「陽射し・日差し」
参道の婚儀の列は暖かき日差しを受けて静かに進めり  宮崎市 須田 明典


(評)暖かい日差しの中を祝福された婚儀の列が神殿へと向う場面が見えるように素直に詠まれている。「日差し」と「婚儀の列」という言葉がうまくかみ合って雰囲気を出している。「暖かき」を省き「婚儀の列は日差しのなか」としてもう一句足して推敲して欲しいと思った。

3月 「芽」
佇みて街路樹の芽吹き確かめぬ確定申告し終えて帰路に  熊本市 松山 浩一
 

(評)春を感じて街路樹の芽吹きを観察した作者であるが、国民の義務としての面倒な確定申告を漸く済ませた気分に、「街路樹の芽吹き」が次の新しい一年を示唆しているようで内容が深まった。街路樹は楠か欅か山法師かと読者の想像をもかきたてる余白がある。

4月 「学校(がっこう)・学舎(まなびや)」
歌ひ継ぐ「ああ爽やかな学び舎に」小学校歌をわすれず老いぬ  倉敷市 萩原 節子
 

(評)無理なく母校の校歌を口ずさむ作者だろう。「ああ爽やかな学び舎に」の歌詞が一首にうまく挿入できてリズミカルに纏めた。老いてなお少年のような心を持ち続ける人柄が見えてくる。

5月 「旅」
職を得て旅立つ孫を見送りぬブーゲンビリア咲く宮崎空港に  宮崎市 友枝 清子


  (評)お孫さんの県外への就職が決まり家族の喜びの時も過ぎていよいよ送り出す日のことを印象的にすっきりと詠んでいて、自分史の歌になったのでは・・初夏から霜枯れるまで空港の入り口あたりに咲き続けるブーゲンビリアの花が一首に出発の希望の祈る思いを乗せてうまく生かせた。             
 

6月 「紫陽花」
五月雨に青深みゆく紫陽花は心ゆくまで命謳へり  宮崎市 野邉 純子


(評)五月雨と初句に据えて、感覚的には嫌な雨を日本語はデリケートに表現できることに気づかされた。ふと俳句を思わせるが、しっかり捉えて、紫陽花の雰囲気を出せている上の句は無駄が無い。「心ゆくまで命謳へり」がやや擬人的か。少し言い過ぎかと思ってもみたが、色が抜けても萎れない紫陽花の奥に「そうありたい」という作者の意思が籠められていると思った。
 

7月 「竹」

 生(あ)れし孫に頬寄せて願ふ健やかに若竹のごと育ちゆけよと  宮崎市 友枝 清子


(評)孫を授かった喜びは祖父母として誰しもが共通した喜び、幸せの感情であるが、「孫歌は甘くなる」「類型が多い、つまり同じような内容が多い」など評価されないことが多い。
この歌はある時の場面とは思うが、「頬寄せて願う」というフレーズが、作者の心からの慈しみが表現できていて、下の句の一入の思いが通った作品になったと思った。

8月 「山」
近々とせまる冨士の(ね)嶺(ね)仰ぎ見き裾野の鉄橋渡り行くとき  宮崎市 徳永さち子


《評》日本の象徴でもある富士山がようやく世界遺産に登録された喜びと共に、国内外の登山客が急増して地元の対応も大変そうだ。この歌は、そのニュースに触発されて生まれた。一読して富士を間近に仰いだ日のことが読者にもよく伝わる回想詠としてリズムよく詠われている。「見き」で過去の旅での感動ということもわかる。

9月 「雲」
手術終へ目に入るものはなべて親し空ゆく雲も街の並木も  宮崎市 猪俣 文恵
 

(評)白内障の症状が進み、人工の水晶体を挿入する手術を受けられた作者でしょうか。
視力が回復した喜びを下の句に「なべて親し」と畳み掛けるように詠み、見える幸せをうまく表現しています。高齢者にとっては医療の進歩のおかげです。

10月 「落葉」
踏む度に落葉かさこそ音をたて日の匂ひ残れり猪八重渓谷  宮崎市 友枝 清子
 

(評)結句の体言止め「猪八重渓谷」が効いていて一首に無駄なくリズムよく表現できている。ウオーキング、森林浴と自然派には癒しの人気スポットらしい。若い頃訪ねた日を思い出したが、その頃は手付かずの自然の中に響く瀬音がすがしかった。

11月 「石蕗」
石蕗の黄の花にふれて偲びをり賜ひし人を植ゑにし夫を  宮崎市 福崎 公子


(評)庭の木々も、夏の草花も秋の深まりとともに末枯れて急に寂しくなる頃、ぐいぐいと茎を伸ばし鮮やかな黄色に咲く石蕗。その花を愛でながら、誰さんに貰ったことを今は亡き夫と場所を選んで植えたことを回想して偲んでいる作者である。「賜ひし人を植ゑにし夫を」に深い思いが伝わる。出来そうで出来ないところ。

12月 「梢」「木末」
我が父の関りて造林せし杉の梢は立てり槍穂の如く  宮崎市 梅崎 辰實


(評)県内の山林に多く見る杉山、夏はま緑に、冬は錆び色にと変化を見せながらも、近年は花粉症の原因と嫌われてもいるが、作者は故里の杉山の造林に関わった父を思いなが目を凝らしている。「梢は立てり槍穂の如く」が的確な表現でうまい。初句の「我が」を何とかしたい。「関わりて父の造林せし山の杉」では。

 

 

※平成24年優秀作品(「天」のみ)

 

1月 「南天」
床の間に朱き南天活けて願ふ新年のニュース明るくあれと  宮崎市 川口 末子

 

(評)新年を迎える気持ちと行動を素直に表現できた一首である。禍の多かった去年を顧みるとき、誰しもが願った同じ思いであるが、作者は理に走らず、日本女性の正月を迎える慣習としてのいけばなに、南天を題材として詠むことでうまく纏めている。

 

2月 「椿」
冬枯れの狭庭に赤き肥後椿手触れて偲ぶ植ゑにし汝(なれ)汝を     宮崎市 榊田キミヱ

 

(評)一首を読みくだすと肥後椿が咲いている庭の雰囲気がよく伝わってきて花に触れることで汝の面影を偲ぶ作者の心情がしみじみと無理なく表現できた。結句は「植ゑにし汝を」として「なれ」と仮名をふる方が優しくなるのではと思う。

 

3月 「木蓮」
追悼のミサの遺影に供へられし白き木蓮に友の偲ばゆ   宮崎市 徳永さち子

 

(評)ミサはカトリックの敬虔な儀式、追悼とあるので友の葬式に参列したときの歌と思われる。遺影の前に供えてあったのはその季節の花、清らかな白木蓮であった。
作者はその花に友の在りし日を重ねて偲び、しみじみと詠んだ一首である。

 

4月 「風」
強風にひるむことなく流鏑馬の射手はどうどうと馬を走らす  宮崎市 紙﨑 裕子

 

(評)宮崎神宮西苑馬場での流鏑馬。今春は例年にない強い春嵐の中に催された様子。
桜満開の馬場で古式豊かな伝統の流鏑馬の神事を春嵐の中で見学した作者の感動が無駄なく調子よく纏められていて整った作品。堂々と馬を走らせ、矢を的に放つ射手の場面や動きまでが生き生きと伝わって来る。

 

5月 「燕」
リハビリを始めし母の車椅子押しつつ見上げるつばめ飛ぶ空  倉敷市 萩原 節子

 

(評)一首に沢山の物語が籠められながらも、味わいながら読んでみると煩くないのは、リズムよく、状況が無駄なく纏められているからである。労りながら車椅子を押す作者が・・娘を頼りにして会話する母が・・見えてくるようだ。自由に空を飛び交う燕に呼びかけたいような心の裡までが見えてくる。

 

6月 「合歓」
草藪の傾(なだ)傾りに生ひし合歓の木の今はまぼろし石垣となりて 宮崎市 徳永さち子

 

(評)植栽されることなく自然に居場所を作っているような合歓の木は花も葉も優しいイメージで癒しの雰囲気を醸している。読み下してみると無駄がなく内容が伝わり、題詠に触発されて生れた一首と言える。故里の作者の記憶のなかに蘇える合歓の花。そういえばあそこは石垣になってしまったまぼろしの合歓。失われゆく寂しさを倒置法にして詠みさりげなく纏めた。

 

7月 「海」
海鳴りの聞こゆる夜中当直の我は巡視の道を急げり   宮崎市 須田 明典

 

(評)上の句の表現から、近づく台風を思わせて何時もとは違う当直を意識しているのがわかり緊張感が伝わる。海の近い事務所なのか、仕事の現場なのか、自分たちで守るという精神が引き継がれているのだろう。具体性が今少しほしいとも思ったが、自分独自の内容をうまく纏めていて自分史に残せる作品になると思った。

 

8月 「花火」
わが窓に見ゆる花火は欠けておりビルの狭間に鋭く光れど  宮崎市 川口 末子

 

(評)夜空を彩る打上げ花火は遠くからも見えて夏の風物詩であるが、市街化が進み建物がビル化してきて視界が閉ざされるようになるのは口惜しいもの。「わが窓に見ゆる花火は欠けており」と捉えたこの歌にドキッとして味わった。下の句の「ビルの狭間に鋭く光れど」もよく纏まっている。余計なつぶやきも不満も言っていないけれど、共感できるし、作者の思いが痛いほどに読み取れて、短歌は斯くあるべしと教えられた。

 

9月 「刈田」
見てる間に刈り取り脱穀コンバインは刈田に稲穂こぼすことなく 宮崎市 和田 洋子

 

(評)現代の機械化された農業の風景をよく捉えている。私流に「見てる間にコンバインは刈り取り脱穀す刈田に稲穂こぼすことなく」ともしてみたが、どちらでも通じると思った。下の句の「刈田に稲穂こぼすことなく」と作者の観察が働いたフレーズが一首を支えてよく纏めたと思う。

 

10月 「祭り」
誇らかに子豚を抱く青年の豚舎に響く祭りの太鼓   宮崎市 川口 末子

 

(評)思いもかけなかった一昨年の口蹄疫の悲劇が脳裏をよぎったが、畜産農家の青年が苦難を乗り越えて子豚の誕生を喜ぶ一齣だろう。上の句に「おめでとう。頑張って下さい」とエールを送りたい気持ちになった。青年が立ち直って子豚の誕生を喜ぶその畜舎にも祭りの太鼓が聞えていたのだろう。場面の取り合わせに独自性があり短歌の力を感じた。

 

11月 「霧」
閉校の会議終りて帰る道川霧立てり峡の月夜を   宮崎市 小池 洋子

 

(評)政府が手当てをしても少子化が進む社会。若者が住みつかないこともあって、自然に包まれた山里の小中学校が次々に閉校する近年の話題であるが、この歌は閉校する学校側か、行政または父兄も含んでなのか、複雑な会を終えて帰る夜道に出会った月を霧を詠む重い内容が伝わる。簡潔な表現の下の句に読者も考えさせられる社会詠でもある。

 

12月 「日記」
書き終へし十年日記ひろひ読み吾が来し方を沁みじみ思ふ  宮崎市 野邉 純子

 

(評)一首を読みくだして、大変リズムよく今の気持ちを素直に表現していて整った題詠である。三年日記を続けている方に尊敬する私はというと、だらだらと書いては、長続きしないタイプとして終りそうだ。作者は十年も続けている日記に振り返りながら、生きて来た歳月をたどっているのだろう。生きた証の日記である。
 

 

献詠入選者の作品を纏めた歌集『鑕(かなしき)』(第1~第4集)も発刊致しております。

鑕(かなしき)は「かなとこ」とも云い、鋳造やハ板金作業を行う際、被加工物をのせて作業をする

鋳鋼または鋳鉄製の台のことで、この歌会が単なる献詠の範疇にとどまることなく、歌壇に通用

する立派な歌を作るための台になる意味から宮崎神宮黒岩龍彦前宮司から命名と、題字をいただ

いたものであります。第四集の発刊に際し、改めて黒岩宮司様に表紙の題字をご揮毫いただきました。


 優れた作品を表彰いたしております。表彰式後の記念撮影。(平成21年7月16日)

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