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宮崎神宮ブログ - 201509のエントリ

始まりました

カテゴリ : 
全般
執筆 : 
office 2015/9/24 16:05

秋分の日も過ぎ、暑さも和らいだように感じておりましたが、

蝉の鳴き声が聞こえるなど、夏に戻った様な本日。

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前回の続き(前回はこちら

 

神道指令出る
十二月十五日、全く突然といふ感じで「神道指令」なるものが発出された。これは宮崎神宮にとっては、全く寝耳に水の事件であった。社務日誌を見ると十二月二十六日の項に、普段に倍する大きい文字で「神社神道ハ国家ヨリ分離スベシ、伊勢神宮ヲ始メ官国弊社及以下神社(午後七時報道)マッカーサー司令部(十五日司令)発表」と見出しをつけ、つぎのやうに記してゐる。
昨夜ラヂオ報道ニテマッアーサー司令部ヨリ祭政分離ノ具体策ヲ日本政府ニ指令セシ旨発表セラレタリ、爾今ハ行政的ニハ御皇室及政府ト分離セラレタル立場ニ於テ、神宮神社人運営奉祀セラレル事トナレルモ、根底ヲ流レル神社精神ニ於テハ毫末モ異ナル所ナク、只管、皇室ノ弥栄ヲ祈念スルコト(参拝人員九八名)
とある。ところで神道指令の反応は実に素早く出て来た。この日(十六日)、県当局は「神道指令」の「全面的乃至部分的ニ、公ノ財源ニ依ツテ維持セラレタル役所、学校、機関、協会乃至建造物中ニ、神棚ソノ他国家神道ノ物的象徴トナル凡テノモノヲ設置スルコトヲ禁止スル。而シテ之ノモノヲ直ニ除去スルコトヲ命令スル」-条項を直ちに実施、県庁内に奉祀されてゐた神棚や市内の学校の神棚を一括して宮崎神宮に持って来た。宮崎神宮ではこれらを徴古館に納めたが、いよいよ来るべき時が来たのだ、との決意もまた、自然に固まらざるを得なかった。
十二月二十四日、米軍第二連隊大隊長宮崎地区司令官アンダーソン中佐、宮崎民政部長マスマン小佐が県警務課長ならびに外務課長の案内で宮崎神宮の見学に来宮した。また、同日、県神祇会支部が宮崎神宮社務所に置かれることとなった。これも神道指令の影響によるものであった。
神道指令が出て、東京では今後の神社界のあり方について最後の懸命な詰めがおこなはれてゐた。宮崎神宮でも、その結果を期待しながら、波瀾にみちた二十年を終へた。

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石畳

カテゴリ : 
全般
執筆 : 
office 2015/9/10 11:59

本日、午前10時より「参道石畳外諸工事起工祭」を斎行致しました。 

 

現在のご社殿等は明治四十年に竣工して以来、百年以上を経ました。

長年の風雨に耐えてまいりましたが、参道の損傷が激しく工事を行うことになりました。

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前回の続き(前回はこちら

 

暴風の中の終戦奉告祭
昭和二十年九月二日にはミズーリ号上で降伏文書の調印式がおこなはれ、翌三日には宮中の賢所・皇霊殿・神殿において戦争終結御親告の儀がとりおこなはれた。宮崎神宮での供進使を迎へて九月十七日、午前十時より終戦奉告祭をおこなふことになったが、丁度この祭典に間に合はせるやうに宮崎地方には再び大型の台風が襲ってきて、祭典は吹き荒れる嵐の中での祭典といふ、未だかつて経験したこともないものとなった。供進使として谷口知事が参向、激しい暴風雨の中を参進するのだが冠は飛び、衣服はめくれ、進まうにも前進できないほどの風。這ふやうにして参進し、やうやく着座しての祭典中にも風雨はいっこうに衰へず、祭員はじめ参列者一同、斜め構えて風にたへ、所定の座から吹き飛ばされずに着座してゐるのがやっとのありさま。台風はこの祭典の前後神苑を荒れ狂ひ、神苑内の倒木は数知れず、正面および東西両参道はうち重なる倒木により閉鎖されてしまった。また建物にも被害があり、表枡型の守衛詰所が倒壊、授与所が半壊、社務所および幣殿廂銅板が剥離したが、祭典が何とか終了したのはせめてもの幸ひであった。なほ、この祭典には萱嶋宮崎市長、高橋参謀長、長谷川師範学校長、猪俣区長、内藤隊長、濱田農会部長、押川区長が参列、翌日からの暴風雨被害復旧には内藤隊長以下の部隊の面々が奉仕にきてくれたが、思へばこれが、帝国陸軍の人々の協力をいただいた最後となった。

米軍来たる
つひに宮崎にも米軍がやってきた。敗戦いらい東京などでは、相次いで激しい変革の嵐が吹き荒れてゐたのであらうが、宮崎にもつひに占領軍がやってきたといふことは、県民にとってはやはりショックだった。十月十七日、宮崎県庁内に米軍宮崎民政部(初代民政部長官はマスマン海軍少佐)が発足、宮崎地方の最高権力者として監視の目を光らせることになった。
時が変ると人の心も変る。荒れた境内を抱へ、その復旧をしたいとする神職にとって、敗戦いらい、とくに秋風が立ちはじめると共に、境内倒木の無断搬出や無断盗伐の多発といふ難問までがかぶさってくるやうになる。しかしいままでのやうに、盗伐防止の措置に協力を要請しようにも、社会の意識は落ち込んでをり、どのやうな手をうって良いかなかなか抜本的な方策もたたない。そんな中で十月二十六日には、占領下におけるはじめての例祭がおこなはれた。宮崎神宮の例祭は御神幸祭を伴ふものだが、本年は石丸宮崎県内政部長が幣帛供進使として参向、午前十時より厳かに祭典は実施されたものの、御神幸祭は中止となった。そしてその代りに翌二十七日は境内で、神幸祭内祭が斎行され、神賑行事が奉納された。
米軍が来て占領下に入ったが、ときどき米軍が参道の入口に立って参拝者に何やら話しかける(その内容が何であったか、当時の人々は参拝の妨害だったと言ふ人も多いが、英語を知らない参拝者がたださううけとっただけで、全く意味が違ってゐたのかもしれない)事件などがあったり、祭りを見に来ることがある程度でまだ宮崎神宮の職員には、これからどんな変化が出て来るかなどは、予想出来ない時であった。ただ、神宮に余り好感を持ってゐないといふことだけは態度の端々に感ぜられる。
そのやうな中、宮崎神宮では十一月二十一日には、児原稲荷神社に疎開中の御神宝、調度品の大半を再び神社へお迎へし、二十三日には河野県物資課長を幣帛供進使に迎へて新嘗祭をおこなった。敗戦直後のことでもあり、県下各農業会からの献穀は殆どなかったが、宮崎市吉村町浮の城実行組合に設置された神饌田よりの献穀があった(同献穀田は市内四十九社にも献穀した)。十一月二十六日には大日本神祇会宮崎県支部大麻頒布奉告祭もおこなはれた。宮崎神宮では米軍の動きに注意はしてゐたものの、どのやうな措置に出てくるか皆目わからなかった。そのため十一月二十七日には境内四ヶ所に英文の看板を掲げて、みだりに境内に入ってパトロールをしたり、あるいは勝手な行動する米軍人に対して神域に対する敬意を求めるなどをしてゐる。

 

続く・・・

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